大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所 昭和62年(ワ)79号 判決 1990年6月29日

主文

一  被告は、原告に対し、金四三五万二六四七円及び内金四〇〇万二六四七円については昭和六二年二月二八日から、内金三五万円については本判決確定の日から、それぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金四三九万七〇七七円及び内金四〇〇万二六四七円については昭和六二年二月二八日から、内金三九万四四三〇円については本判決確定の日から、それぞれ支払い済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  本件医療事故の発生

(一) 原告は、昭和五三年の春あるいは翌五四年の春先頃からアレルギー鼻炎に悩まされるようになったが、昭和五六年三月ころ、静岡県立中央病院(現在の静岡県立総合病院)で、皮下テストによって、杉花粉アレルギーであると診断された。

(二) 原告は、昭和五九年三月五日から安藤耳鼻科医院で週二回減感作療法を受けるようになったが、同療法が、長期の定期的な通院が必要であるところ、原告としては、幼児を伴っての通院が困難であるなどの事情があったため、一か月で治療を断念した。

(三) その後原告は、被告の開設する佐倉医院において被告が減感作療法を施行していることを知り、昭和五九年一二月五日、初めて被告の治療を受けた。その際、原告は、被告に対し、原告が杉花粉アレルギーであることを伝えたところ、被告は、来週に来院するように指示した。

そこで、原告は、同月一二日午後二時ころ、被告医院に行き、同日午後三時三〇分ころ被告の診療を受けたが、その際被告から減感作療法として杉花粉エキスの一〇〇万倍液〇・五ミリリットルの注射を受けた。

(四) 原告は、治療後直ちに帰宅の途につき、被告医院を出て五分後には自宅に到着したが、帰宅途中からくしゃみが出始め、血管がふくれあがって来る感じで、目も腫れ、家に到着してからは、動悸が激しく、速くなり、心臓が破裂するかと思うくらいになった。原告は、すぐに、被告医院に電話で連絡し、応対に出た看護婦に対し異常を訴えたが、同人は、横になっていれば直るというだけで、被告は電話にも出なかった。その後、手足の痺れ、全身が腫れ上がる等の症状が出たため、原告ないし義母は、二度にわたって、被告医院に電話で連絡し、応対に出た看護婦に対し異常を訴えたが、またも、被告は電話に出ず、応対に出た看護婦は、歩いて来院するか横になっていたら直る旨いうばかりであった。

そこで、原告は、右の言葉を信じて、自宅で横になっていたものの、吐き気があり、顔面蒼白となって、喉も腫れ上がって息が苦しくなるという有様であったので、義母に救急車を呼んで貰い、その救急車で清水市立清水総合病院(以下「清水総合病院」という。)に運ばれて、そのまま入院した。

(五) 原告は、昭和六〇年一月四日には一旦退院したが、同月一二日には再び清水総合病院に入院し、同年二月一三日に同病院を退院した。その後、原告は、自宅から、同月二三日まで、同病院に通院したが、日常生活が送られるような身体ではなかったため、その後同年一〇月まで、安静治療のため、岐阜県多治見市の実家に身を寄せた。その間、原告は、同年三月二日から同年九月二〇日まで太田医院の太田信夫医師の往診を受けた。

原告は、昭和六〇年一〇月に清水市の自宅に帰ったが、非常に疲れやすく、動悸や息切れする状態が続くため、同年一一月一八日から現在まで一か月に一度位の割合で乾医院に通院し、乾達医師の治療を受けている。

2  因果関係及び被告の責任

(一) 減感作療法とは、アレルゲンのエキスを極端に薄めたものを身体に注射し、これによって免疫の抗体を作り、その抗体によって入ってくるアレルゲンを無力化するものであるが、注入されるエキスの量が多すぎるとアナフェラシー(逆行的な防御)ショックを起こし、その結果身体の臓器を犯すものである。

したがって、アレルゲンの注射の際には、以下の二点が留意されるべきとされており、これらのことは、すべて被告の使用した減感作療法の薬剤の使用説明書に記載されている。

(1) 患者には個人差があるので、エキスの投与量、投与間隔、維持量などは標準量にこだわらず、症例ごとに判断して決するべきものである。

そして、特に初回量の決定に当たっては、皮内注射によって陽性反応を示す最低の濃度(閾値)を定め、それを一〇倍希釈した液の濃度を初回濃度とするべきである。

(2) 治療エキスの使用法を誤った場合、ショックなどの全身反応が誘発されることがあるので、注射後三〇分は、患者を医師の監督下に置いて経過観察し、ショック症状を呈したときは、直ちに救急措置が採れるように用意しておかなければならない。

(二) ところが、被告は、原告について減感作療法を実施するにつき、右の二点の処置を怠った。

即ち、右(1)については、原告の初回投与量を決定するための検査を一切しないで、漫然と濃度及び投与量を定め、前記の量を投与したものである。

また、右(2)については、被告は、注射後なんらの経過観察をせず、直ちに原告を帰宅させ、原告ないしその義母が被告医院に前記のような電話をした際にも、被告医院の看護婦を通じ誤った指示を与えたのみであって、なんらショック症状を呈した際の治療を施そうとはしなかったものである。

(三) 原告は、前記被告の注射によって、アナフェラシーショックを起こし、そのため、腎臓を犯され、前記の治療を余儀なくされた。

(四) このことは、被告が、漫然前記の量の杉花粉エキスを注入した過失及び適切な経過観察をなさなかった過失によるものであるから、被告は、民法七〇九条に基づき、原告の被った損害を賠償する責任を負うべきである。

3  損害

(一) 治療費・交通費合計金二九万一五四〇円

原告は、治療費・交通費として以下のように支出した。

(1) 清水総合病院関係

ア 治療費 合計金一五万五六三〇円

イ 通院交通費 合計金一一六〇円

(2) 太田医院関係

ア 治療費 合計金二万九五四〇円

イ 通院交通費 合計金三万〇五六〇円

(3) 浜松医科大学医学部付属病院関係

ア 治療費 合計金七六四〇円

イ 通院交通費 合計金一万五九〇〇円

(4) 乾医院関係

ア 治療費 合計金五万〇四六〇円

イ 通院交通費 合計金三万〇一九〇円

(二) 入院雑費 金五万七〇〇〇円

原告は、清水総合病院に合計五七日間入院したが、一日当たりの入院雑費として金一〇〇〇円と計算するのが相当である。

(三) 休業損害 金二二五万四一〇七円

原告は、本件医療事故以前より主婦として家事労働に従事していたところ、昭和五九年一二月一二日から翌六〇年一一月一八日までの三四二日間、本件医療事故後の入通院治療などのため家事労働に従事できなかった。

原告は、昭和二七年七月二一日に生れの女性であって、受傷当時満三二歳であったから、女子労働者の平均給与額を用いて原告の休業損害を算定すると、その額は、金二二五万四一〇七円(二四〇万五七〇〇円×三四二÷三六五=二二五万四一〇七円)となる。

(四) 入、通院慰藉料 金一四〇万円

原告は、本件医療事故後昭和六〇年一一月一八日まで、前記のように五七日間入院し、三四二日間通院した。

このことによって、原告の受けた精神的損害は金一四〇万円に相当する。

(五) 弁護士費用 金三九万四四三〇円

右(一)ないし(四)の合計額は、金三九四万四三〇七円であるところ、原告は、本件訴訟の提起に当たって、原告の訴訟代理人らに対し、勝訴したときは認容額の一〇パーセント相当額を弁護士費用として支払う旨約したので、弁護士費用金三九万四四三〇円も本件事故と因果関係のある損害である。

4  以上の次第で、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、金四三三万八七三七円及び内金四〇〇万二六四七円については不法行為以降の日であることの明らかな昭和六二年二月二八日から、内金三九万四四三〇円については弁護士費用の支払義務の発生する本判決確定の日から、それぞれ支払済みまで民法所定年五分の割合の遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)の事実は知らない。

請求原因1(二)の事実のうち、原告が安藤耳鼻科医院で減感作療法を受けたことは認めるが、その余の事実は知らない。

請求原因1(三)の前段の事実は認める。同後段の事実のうち、被告が、原告に注入した杉花粉エキスの量は否認し、その余の事実は認める。

被告は、原告に杉エキスの一〇〇万倍溶液を〇・〇五ミリリットル投与したものである。

請求原因1(四)の事実のうち、原告が帰宅後被告医院に電話したこと及びその後原告が救急車で運ばれて清水総合病院に入院したことは認めるが、右電話の際の会話内容を含め、その余の事実は争う。

請求原因1(五)の事実のうち、原告が清水総合病院に入、通院したこと及び乾医院に通院していることは認めるが、その余の事実は知らない。

2  請求原因2(一)の事実は認める。

しかし、過去に減感作療法を受けたことのある患者については、必ずしも閾値検査をする必要はなく、また、ショック症状は、通常注射後直ちにないし一〇、一五分後には生ずるものであるから、一律に三〇分経過観察する必要はない。

請求原因2(二)の事実のうち、初回投与量の決定のために閾値検査をしなかったこと、治療終了後原告から電話がかかってきたこと、それに看護婦が対応したことは認める。

しかし、本件の場合においては、被告は、原告が既に減感作療法の経験があり、その際のショック症状を呈したことがないことを知っていたから、初回投与量を決めるに関し、閾値検査をする必要がないと判断したのであり、その判断は合理的である。そして、右事実に、原告の投与した杉花粉エキスは、極めて控えめな量であることも合わせ考えると、この量で原告がショック症状を起こすことは予見できなかった。したがって、この点について被告には過失がない。

また、経過観察についても、被告は、注射後原告の様子を観察しており、特に三〇分経過観察をしていなくとも注意業務の懈怠はない。

請求原因2(三)、(四)は争う。

3  請求原因3は争う。

4  請求原因4は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一  本件医療事故の発生

1  原告の本件医療事故前の経過

<証拠>によると、以下のような事実を認めることができる。

(一)  原告は、健康体であった家庭の主婦であるが、昭和五四年の春先頃からアレルギー鼻炎に悩まされるようになった。

(二)  昭和五六年三月ころ、原告は静岡県立中央病院で、皮下テストによって、杉花粉アレルギーであると診断された。

(三)  原告は、昭和五九年三月五日から安藤耳鼻科医院で週二回の減感作療法を受けるようになったが(安藤耳鼻科医院で減感作療法を受けたことは当事者間に争いがない。)、同療法が、長期の定期的な通院が必要であるところ、原告としては、幼児を伴っての通院が困難であるなどの事情があったため、一か月で治療を断念した。

2  原告の被告佐倉病院での医療経過について

(一)  原告は、被告の開設する佐倉医院において被告が減感作療法を施行していることを知り、昭和五九年一二月五日、初めて被告の治療を受けたこと、その際、原告は、被告に対し、原告が杉花粉アレルギーであることを伝えたところ、被告は来週に来院するよう指示したこと、そこで、原告は、同月一二日午後二時ころ、被告医院に行き、同日午後三時三〇分ころ被告の診療を受けたが、その際、被告から杉花粉エキス溶液の注射を受けたことは当事者間に争いがない。

(二)  <証拠>によれば、以下のような事実を認めることができる。

(1) 原告は、初めて被告の治療を受けた際、被告に対し、一年近く前に約一か月ほど安藤耳鼻科医院で、減感作療法を受けていたことを伝えたが、被告は、その投与濃度や投与量について全く質問をしなかった。

(2) 被告は、昭和五九年一二月五日、被告に対し、一〇〇万倍杉花粉エキス溶液〇・〇五ミリリットルの注射をしたが、その際、被告は、原告に対し、皮内反応による閾値検査などを実施しなかったので、原告としては、安藤耳鼻科医院においては初回の注射前に閾値検査が行われたのに、被告医院ではこのような検査がなかったことを不審に思った。

(3) 注射後、原告は、安藤医院では約一五分、医者が減感作療法施行後の患者の経過を観察した後に帰宅させていたので、待合室で待っていようかとも考えたが、被告は、原告に何の指示も与えず、次の患者の診療の準備を始めた。そこで、原告は、被告に対して、帰宅してもよいかどうか尋ねたところ、被告は、よいと答えたので、原告は、診療費を支払いすぐに帰宅の途についた。

なお、原告本人尋問の結果中には、右注入液の量について右認定に反する供述があるが、右供述部分は、<証拠>に照らしたやすく信用できず、他に、右認定を左右するに足る証拠はない。

3  帰宅後の原告の症状

(一)  原告が帰宅後被告医院に対し電話したこと、その後、原告が救急車で運ばれて清水総合病院に入院したことは当事者間に争いがない。

(二)  右当事者間に争いのない事実に、<証拠>を総合すると、以下のような事実を認めることができ、右認定に反する被告本人尋問の結果は、右認定に照らし信用できない。

(1) 原告は、被告医院から歩いて三分ほどのところにある義母方に立ち寄った後、被告医院から歩いて五分ほどのところにある自宅へ向かったが、義母方へいく途中からくしゃみ及び鼻水が出始め、鼻がむず痒く感じられ、自宅へ向かってからは、血管がふくれあがって来る感じを受け、目の辺りも腫れてきた。原告は、家に到着して鏡を見ると、顔全体が腫れ上がっており、動悸が激しく、速く、心臓が破裂するかと思う程になり、冷汗が出て、寒気もした。

(2) 原告は、すぐに、被告医院に電話で連絡し、応対に出た看護婦ないし事務員に右異常を訴えたが、同人らが横になったら直るというだけで、被告は電話にも出なかった。その後、手足の痺れ、全身が腫れ上がる等の症状が出たため、原告が再び被告医院に電話を掛けたところ、今度は応対に出た事務員ないし看護婦が被告医院に来るように指示した。

(3) しかし、原告は、身体が痺れ始めたため、それに対し、満足な返答もできず、その場に倒れてしまった。そこへ、義母が尋ねてきたので、義母から被告医院に再び電話してもらったところ、応対に出た事務員ないし看護婦の対応は、安静にしていたら直るというのみであった。

(4) ところが、原告は、吐き気をもよおし、顔面蒼白となり、喉も腫れ上がって息が苦しくなり、意識も朦朧となってきたため、耐え切れず、義母に救急車を呼んで貰い、その救急車に運ばれて、同日午後四時四〇分頃、清水総合病院に運ばれて、そのまま入院した。

4  原告のその後の治療経過

(一)  原告が、清水総合病院に入、通院したこと、乾医院に通院していることは当事者間に争いがない。

(二)  右当事者間に争いのない事実に、<証拠>によると以下のような事実を認めることができる。

(1) 原告は、清水総合病院に救急車で運びこまれた後、直ちに注射及び点滴を受け、血圧測定及び心電図の検査をなされた。その際、付き添っていた夫は、担当医に、喉が腫れ、気道の確保ができなければ死亡する可能性もあること及び助かっても、ショックの状態からして、後々、臓器になんらかの後遺症が出るかも知れないことを告げられた。

(2) 昭和五九年一二月一三日の夜から、原告は、血尿及び倦怠感が続き、慢性糸球体腎炎が疑われたが、一時血尿が軽減したこと及び慢性腎炎には安静以外に特に有効な治療がないことから昭和六〇年一月四日には一旦退院した。しかし、原告は、自宅で少し家事をしたところ、血尿が激しくなったので、同月一二日には再び清水総合病院に入院し、同年二月一三日に同病院を退院した。そして、原告は、その後自宅から、同月二月二三日まで、同病院に通院したが、日常生活を送ると血尿がひどくなるので、その後同年一〇月まで、やむなく、岐阜県多治見市の実家に身を寄せ療養に努めた。その間、同年三月二日から同年九月二〇日まで太田信夫医師の往診を受けた。

(3) 原告は、同年一〇月に自宅へ帰り、一応、日常生活に戻ったが、その後一年ほどは寝たり起きたりの状況であり、月一度から三か月に一度位乾医院に通院している。

5  原告のショック症状と慢性腎炎の原因

原告が前記のようなショック症状を呈した原因は、被告が杉花粉アレルギーの治療としての減感作療法において投与した杉花粉エキスにあることについては、被告が明らかに争っていないのでこれを自白したものとみなすべく、また、右ショック症状によって、腎臓などの内臓障害が発生し、時には腎機能が低下して慢性腎炎を引き起こすことがあることについては、<証拠>によって認めることができ、弁論の全趣旨と前記認定の原告の重篤な症状及び原告の清水総合病院での担当医が内臓に後遺症が残る可能性を示唆していること並びに原告が前記ショックの前には健康体であった事実を合わせ考えると、原告は、前記ショック症状によって慢性腎炎に羅患したものと推認することができ、この推認を覆すに足る証拠はない。

二  被告の療法上の過失と責任

1  減感作療法の内容

(一)  減感作療法とは、アレルゲンのエキスを極端に薄めたものを身体に注射し、これによって免疫の抗体を作り、その抗体によって入ってくるアレルゲンを無力化するものであるが、注入されるエキスの量が多すぎるとアナフェラシー(逆行的な防御)ショックを起こすものであることについては当事者間に争いがない。

(二)  そして、<証拠>によれば、減感作療法においては、初回は極端に薄いエキス溶液を身体に注射し、定期的に週に二回ほど施行して、数回ごとに患者の容態を見ながらだんだんその濃度を上げていき、数か月、場合によっては数年かかって、患者に免疫の抗体を作っていくものであることが認められる。

2  減感作療法施行時の注意義務

(一)  減感作療法は、用法を間違うとアナフェラシーショックを引き起こすおそれがあるので、アレルゲンの注射の際には、以下の二点が留意されるべきとされており、それらのことはすべて、被告の使用した減感作療法の薬剤の使用説明書に記載されていることは当事者間に争いがない。

(1) 患者には個人差があるので、エキスの投与量、投与間隔、維持量などは標準量にこだわらず、症例ごとに判断して決するべきものである。

そして、特に初回量の決定に当たっては、皮内注射によって陽性反応を示す最低の濃度(閾値)を定め、それを一〇倍希釈した液の濃度を初回濃度とするべきである。

(2) 治療エキスの使用法を誤った場合、ショックなどの全身反応が誘発されることがあるので、患者を医師の監督下に置いて経過観察し、ショック症状を呈したときは、その症状によって、注射部位の頭側の緊縛、薬剤の注射、点滴、気道確保、血管確保、保温等直ちに救急措置が採れるように用意しておかなければならない。

(二)  ところが、被告が、原告について減感作療法を実施するにあたって、原告の閾値検査をしないで、初回の濃度及び投与量を定めたことについては、当事者間に争いがなく、<証拠>によると、被告が、初回投与量を定めるにあたって考慮したことは以下のとおりであると認めることができる。

被告は、当時、減感作療法が初めての患者については、初回投与濃度及び量を一〇〇万倍溶液を〇・〇二ミリリットルとしていた。しかし、被告としては、その量から減感作療法を始めるとなると、原告の治療開始時期が一二月であるから、杉花粉が多数飛来して、そのアレルギー症状が最も顕著に出る三月ころまでに抗体を作るに至らないと考えた。そして、被告は、原告から、原告が同年の三月頃に、約一か月間、安藤耳鼻科医院で減感作療法を受けていたこと及びその際特にショック症状を呈したことがないことを聞いたので、投与回数や最終の濃度・投与量を尋ねずに、通常、初回は一〇〇万倍溶液〇・〇二ミリリットルであって、週二回ペースであろうから、最後の投与量は相当進んでいるであろうと推測し、それよりも低い濃度でかつ三月に間に合うような初回投与の溶液の濃度・量として一〇〇万倍溶液〇・〇五ミリリットルと定めた。

(三)  そして、前記のように、減感作療法にはショックという副作用がありうること、減感作療法において適正な杉花粉エキスの量及び濃度は個人差の激しいものであること、そうであるから初回投与量については閾値検査をした後に決すべきこと及びそれらのことが被告使用の説明書に記載されていること前判示のとおりである上、前記乙第二号証によれば、ショック症状は、それが重症であれば死に至るほどの重大なものであることが認められることも合わせ考えると、初回の投与量を定める際、仮に患者がかって減感作療法を受けたことがあっても、それが三か月以上経過しているときには、前記の閾値検査によって、適切なエキスの溶液の量ないし濃度を定めるべき注意義務があると解するのが相当である。

この点について、被告は、原則的には閾値検査をして初回投与量を定めるのが望ましいことを認めながら、前記のように、原告がかって安藤耳鼻科医院で減感作療法を受けていたこと及びその時にはショック症状を呈していないことを知っていたことから、閾値を検査して初回投与量及び濃度を決定する必要はないと判断したので、被告にはショック症状について予見可能性がなかった旨主張する。しかし、前記のように、減感作療法における適量は個人差が激しいものであるから、右主張が成り立つためには、被告が、安藤耳鼻科医院での原告に対する投与期間、投与回数、投与量などを熟知しており、それを考慮にいれて投与量を定めたことが前提となるべきものであるところ、前記のように、被告は、それらのことをまったく知らず、原告に尋ねることさえしていないのであるから、この点においても被告の主張は前提を欠くというべきである。その上、前記甲第九号証によれば、減感作療法は、週二回程度継続的に施行し、漸次杉花粉の量及び濃度を濃くしていくものであって、投与の間隔が開いてしまえば前回の量より減量して行うべきものであるので、特に三か月以上投与を中止した場合は、皮内反応閾値を調べ直してその量及び濃度を定めるべきものとされているところ、前記のように、原告が最後に安藤耳鼻科医院で減感作療法を受けたのは、被告医院での治療を受けた時よりも約八か月前であって、被告もそのことを知っていたのであるから、この被告の主張も成り立たないというほかない。

したがって、被告が初回投与量を決定するための検査をしないで、漫然と濃度及び投与量を定め、これを投与したことには明らかに過失があるというべきである。

3  減感作療法施行後の注意義務

(一)  また、減感作療法の施行により、ショック症状を呈した際には直ちに適切な治療を施すことができるよう医師としては少なくとも三〇分の経過観察をすべきであるとされていることは、前判示のとおりであり、このことと前記のようにショック症状が重篤なものであることを合わせ考えると、減感作療法を実施する医師としては、注射後少なくとも三〇分間は医師の監督下に留めて患者を経過観察し異常があれば直ちに前記のような対応ができる状態にしておくべき注意義務があるというべきである。

(二)  ところが、原告及び被告各本人尋問の結果によると、被告は、かつて原告が減感作療法を受けており、その際ショックが出ていなかったことから、原告にショックが起こることはありえないと軽信し、減感作療法施行後、まったく原告の経過を観察せずに直ちに帰宅を許したことが認められる。

したがって、被告が減感作療法施行後経過観察をしなかったことについても過失があるというべきである。

4  被告の責任

以上認定判断したところによると、原告が前記のようなショック症状を呈し、これによって慢性腎炎に羅患したのは、被告の前記のような減感作療法施行時及び施行後の過失に起因するというべきであるから、被告は、民法七〇九条により、原告が被った損害を賠償すべき責任を免れない。

三  原告の損害

1  治療費・交通費

<証拠>によると、原告は、前記の治療経過において治療費、交通費として合計二九万一五四〇円支出したと認めることができる。

2  入院雑費

原告が清水総合病院に五七日間入院したことは当事者間に争いがないところ、弁論の全趣旨によれば、原告は、入院一日当たり金一〇〇〇円を下らない雑費を支出したものと推認することができるから、これにより合計五万七〇〇〇円の損害を被ったものと認められる。

3  休業損害

<証拠>によれば、原告は、本件医療事故当時満三二歳の女性であって、二児の母及び妻として家事労働に従事していたことが認められるから、本件医療事故にあわなければ、少なくとも昭和五九年の満三〇歳から三四歳の女子労働者全体の平均賃金である年二四〇万五七〇〇円に相当する家事労働に従事することができたものというべきところ、<証拠>によれば、原告は、ショック症状を呈した昭和五九年一二月一二日から乾病院の初診の時である翌六〇年一一月一八日までの合計三四二日間家事労働に従事できなかったものと認められるから、原告の家事労働に従事できなかったことによる損害は、原告の主張どおり合計金二二五万四一〇七円と認めるのが相当である。

4  慰謝料

原告は、前記のように、本件医療事故により五七日間の入院と三四二日間の通院を余儀なくされたものであるほか、そのことによるショック症状で死に瀕した状況に置かれたことなど諸般の事情を合わせ考えると、その精神的損害に対する慰藉料は、原告の主張する金一四〇万円を下らないものというべきである。

5  弁護士費用

弁論の全趣旨によると、原告は、原告代理人に対し、本訴の提起と追行を委任し、その際、同代理人との間で勝訴したときには認容額の一〇パーセント相当額を報酬として支払う旨約したものと認められるが、本件事案の内容、審理の経過、認容額等の諸般の事情に鑑みると、被告不法行為と相当因果関係のある損害として賠償を求め得る弁護士費用は金三五万円をもって相当とする。

四  よって、原告の本訴請求は、被告に対し金四三五万二六四七円及び内金四〇〇万二六四七円については不法行為以降の日であることの明らかな昭和六二年二月二八日から、内金三五万円については本判決確定の日から、それぞれ支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容するが、その余を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 塩崎 勤 裁判官 小林登美子 裁判官 水野有子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例